関連記事
火にまつわる十の話
(1)門松は墓標だったのか
年神という名の「死者」との再会
年神の正体(死者の帰還)
「年神様」の正体は、還ってきた「死者」である
年神様は「先祖の霊(祖霊)」が山から降りてきた姿という説があります。正月に飾る門松は、実は「依り代」であると同時に、死者が迷わず帰るための「墓標」の役割も持っていたのではないか……という、生と死が逆転する考察。
(2)魂を噛み砕く儀式
鏡餅「鏡開き」に潜む解体と捕食の記憶
鏡餅の解体(神の捕食)
「鏡餅」を割るという行為の、隠された呪術性
鏡餅は「神の魂」を象っています。それを包丁で切らずに「割る(開く)」のはなぜか。魂を分かち合う「直会(なおらい)」の裏に潜む、「神の肉体を喰らう」という生贄の儀式の名残を掘り下げます。
(3)時の裂け目に吸い込まれる
大晦日の夜、眠ってはならない理由
年越しの不眠(魂の剥離)
「年越し」に眠ってはいけない──「トシコシサマ」に魂を抜かれる夜
かつては大晦日に寝ると「白髪になる」「早く老いる」という伝承が各地にありました。魂が入れ替わる境界の夜、無防備に眠ることは「死」に近い状態であり、そのまま異界へ連れ去られる恐怖を紐解きます。
(4)招き入れる装置(デバイス)
門松の「空隙」に潜む漂泊の霊
門松の罠(漂泊霊の侵入)
門松が招くのは、神か、それとも「漂泊の霊」か
門松は目印ですが、そこには「神」だけでなく、行き場を失った「餓鬼」や「迷い霊」も引き寄せられます。プラスチックの門松には「中身」が入らず、空いた隙間に何が入り込むのか……という現代ホラー的視点。
(5)剥ぎ取る慈悲
ナマハゲと年神様、その「暴力的な浄化」の系譜
ナマハゲの暴力(浄化の刃)
「ナマハゲ」と年神様の、残酷な共通点
秋田のナマハゲも、実は年神様の一種(まれびと)です。祝福を与える神が、なぜあのような恐ろしい形相で「怠け者はいないか」と包丁を振るうのか。神が持つ「暴力的な浄化」の側面に焦点を当てます。
(6)複眼の籠と、単眼の神
「事八日」の裂け目に覗く異界
事八日の監視(一つ目小僧)
一つ目小僧と「事八日(ことようか)」の禁忌
12月8日や2月8日は、年神様と入れ替わりに「厄神」がやってくる日とされます。籠(かご)を逆さにして軒先に吊るすのは、その「目」を欺くため。年神様が来る直前、世界は一度「魔」に支配されるという恐怖。
(7)凍れる饗宴
「おせち料理」の沈黙と、息を潜める生存戦略
おせちの沈黙(生存戦略)
「おせち料理」の沈黙──音を立ててはいけない理由
昔は正月三が日、煮炊きを禁じ、物音を立てることも慎みました。それは神を驚かせないためと言われますが、裏を返せば「物音を立てると、こちらが『生きていること』を異界のものに気づかれてしまうから」という生存戦略の説。
(8)恵方の裏側、神の死角
歳徳神(としとくじん)がもたらす「方位」の猛毒
方位の猛毒(歳徳神の祟り)
歳徳神(としとくじん)の「方位」に潜む罠
その年の恵方を司る歳徳神。しかし、方位学において神がいる方向は「吉」ですが、そこを汚したり、逆らったりした時の「祟り」は他の神より苛烈であるという、方位信仰の光と影。
(9)境界に立つ「無言の監視者」
ワラ坊と藁人形、その血脈と夜の鼓動
境界の藁人形(身代わりの神)
「ワラ坊」と「藁人形」──境界を守る異形の神々
東北などの一部地域で見られる、藁で作られた年神様。それらは「人形(ひとがた)」であり、村の外から来る疫病や魔物を食い止める「身代わり」でもあります。彼らが夜、村を歩き回るという伝承の不気味さ。
(10) 主(あるじ)なき座敷の神事
「空き家」に降り立つ年神の変質と孤独
空き家の終焉(忘れられた神)
忘れられた神様「空き家」の年神
誰にも祀られなくなった古い家の玄関に、今も年神様が降りてきたらどうなるのか。主のいない座敷で、誰も食べない鏡餅を前に、神様は「何」に変質してしまうのか……という現代の孤独と信仰の終焉。