Folklumina 第1章|消えゆく年中行事|第2話
冬の夜。
白い息が空にほどけていく玄関先に、門松が立っている。
昔の人々は、その門松を通って神様が訪れると信じていた。
でも今、その神様を待つ人は、どれだけ残っているだろう?
年神様とは、正月に家々を訪れ、その年の幸せや豊作をもたらす神様のこと。
祖先の霊や田の神が、新しい年の節目に「年神」として降りてくる。
私たちが当たり前に飾る正月飾り。
そのひとつひとつが、神様を迎えるための祈りの形だった。
雪深い北国では、藁人形を「ワラ坊」と呼び、家の入口に立てる。
東北では「松迎え」といい、山から松を取ってきて神様の通り道を整える。
西日本では「歳徳神(としとくじん)」を豊穣の神として大切に祀る。
門松は神様を招く目印。
常緑の松に、永遠の力が宿ると信じられてきた。
鏡餅は神様への捧げもの。
丸い形は「魂」を象っている。
しめ縄は、神様と人間の世界を分ける結界。
場を清めるための準備そのものだった。
けれど今、
都会のマンションの玄関先に並ぶのは、小さなプラスチックの門松。
スーパーに並ぶ既製品の鏡餅に、どれほどの祈りが込められているだろう。
正月飾りは「なんとなく飾るもの」になった。
そしていつしか、神様を待つ心そのものが、私たちの日常から遠のいていったのかもしれない。
ある年配の方が、こんな話をしてくれた。
「子どもの頃、大晦日の夜は神様が来るからって早く寝かされたんです。
でも布団の中で、神様の足音を聞こうと、ずっと耳を澄ましていました。」
今では年越しの夜、テレビを見ながらそのまま眠る人が多い。
「神様を待つ静けさ」は、いつの間にか消えてしまった。
おせち料理も本来は、神様と共に食べる神聖な食事だった。
昔は調理の音も、食事の音さえも慎まれたという。
今ではレンジの音が響き、デリバリーで届いたおせちが並ぶ。
それが「便利」と言うなら、たしかにそうかもしれない。
でも、その所作の美しさと、神様を迎える心は、どこへ行ってしまったのだろう。
年神様は、本当に消えてしまったのか。
それとも、私たちの心の奥で眠っているだけなのか。
白い冬の朝。
小さな鏡餅を手に取り、雪の降る外を見つめる。
降り積もる雪に、神様の足跡を探してしまう自分がいる。
それが今の「年神信仰」なのかもしれない。
あなたの暮らしにも、見えないものは棲んでいませんか?
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