|
なぜ日本人は、火で死者を呼び戻すのか。―消えゆく「迎え火」の記憶「火は、生きているんだよ。」幼い頃、祖母にそう教えられたことがある。 八月十三日の夕暮れ。藁を束ねた祖母が、門の前で黙々と火を灯した。 「ご先祖さまが帰ってくる道しるべじゃよ。」 あの夜の静けさと炎の揺らめきは、今も私の胸に残っている。 けれど――。 あの「迎え火」は、いまではほとんど見かけなくなった。 都市の灯りにかき消され、路上で火を焚くことも難しくなった。 消防法、マンション暮らし、核家族化。 そしてなにより、「死者を迎える」という感覚そのものが、遠くなっているのかもしれない。 今はスーパーで売られているLEDの提灯が、迎え火の代わりだ。 便利だけど、そこには藁の焦げる匂いも、火の呼吸のような鼓動もない。 地域によって、迎え火の形は少しずつ違う。 東北では麦わらや杉の葉を束ねて燃やす。 関西では門前に松明を立てる「精霊迎え」がある。 九州の一部では、墓地から家まで小さな火を道沿いに並べる「迎え盆」という風習もある。 祖母の住む山陰の村では、村の入口に藁の松明を立てていた。 そこが、**「あの世とこの世の境目」**だと信じられていたからだ。 子どもたちは松明の周りで遊び、大人たちは手を合わせていた。 あの時間は、神聖で、そして少しだけ怖かった。 つい先日、ふと思い立って、実家で藁束に火を灯してみた。 小さな炎が夜風に揺れるのを眺めていると、祖母の声が蘇ってきた。 「火は生きているから、死者を迎えられるんだよ。」 きっと、火はただの光ではない。 そこには、死者を呼び寄せる力がある。 そして私たちは、その火を灯すことで、死者と語らい、祈ってきたのだと思う。 あの夏の夜、揺れる炎の向こうに、確かに何かがいた。 あなたは、火を灯したとき―― 誰かの気配を感じたことはないだろうか? |
|---|