門松は墓標だったのか

年神という名の「死者」との再会

 

招かれざる「客」の正体
山から降りる異形

「神」か「霊」か、あるいは「怪物」か

 
年神様がいらっしゃる。

この言葉を、私たちは毎年、なんの疑いもなく口にしてきた。
「いらっしゃる」という敬語の柔らかな響き、「様」という接尾辞のもたらす親しみ。
まるで遠方から訪ねてくる好々爺のような、穏やかで、福々しい存在を、私たちは無意識のうちに思い描いている。

だが、ここで立ち止まって考えてみてほしい。

「年神」とは、いったい何者なのか。

民俗学の泰斗・折口信夫は、この問いに対してひとつの仮説を提示した。年神とは「祖霊」である、と。
つまり、私たちが恭しく迎え入れているのは、五穀豊穣をもたらす抽象的な農耕神などではなく、かつてこの家に住み、この土地を耕し、そしてすでにこの世を去った者たちの霊魂だというのだ。


あなたの曾祖父。
その母。
さらにその先祖たち。
顔も知らぬ、名も忘れられた、無数の死者。


彼らが、年の変わり目に、山から降りてくる。

この説を知ったとき、正月という行事の風景は、まったく異なる色彩を帯びて見え始める。
門松の緑は墓地の常緑樹の色に重なり、鏡餅の白は骨の色を連想させ、しめ縄は結界を張る呪具として不気味に光る。


もちろん、年神の正体については諸説ある。
柳田國男は穀霊・田の神としての側面を重視し、「山の神」が春に里へ降りて「田の神」となり、秋の収穫が終わると再び山へ帰るという循環を描いた。
また「歳徳神(としとくじん)」という、その年の福徳を司る神として捉える向きもある。


しかし、ここで注目すべきは、これらの解釈がけっして相互に排他的ではないということだ。
山の神、田の神、祖霊、来訪神。
これらは、古代日本人の信仰においては、明確に分離されていなかった。


いや、分離することができなかった、と言うべきかもしれない。
なぜなら、死者は山へ行くからだ。
肉体を失った魂は、村を見下ろす山の頂に昇り、そこで浄化され、やがて祖霊の集合体となる。
その同じ山から、春には田の神が降り、正月には年神が降りてくる。
山という異界を媒介として、死者と神は、混淆し、融合し、ひとつの存在となる。


だとすれば、私たちが「年神様」と呼んで迎え入れているのは、神であると同時に霊であり、守護者であると同時に、どこか得体の知れない「異形」でもあるということになる。

福をもたらす神。
死から帰還する霊。
そして、異界から訪れる「客人(まれびと)」。


折口信夫が唱えた「まれびと」論では、共同体の外部から訪れる存在が、畏怖と歓待の両方をもって迎えられる様が描かれている。
「まれびと」は福をもたらすと同時に、災いをもたらす可能性も秘めている。
だからこそ、人々は細心の注意を払い、決められた作法に従い、彼らを饗応する。


年神もまた、そのような存在なのではないか。

私たちの先祖は、正月を「おめでたい」行事として楽しむ一方で、どこかでその「客」を恐れてもいた。
恐れていたからこそ、松を立て、餅を供え、身を清め、沈黙を守った。


あなたは今年の正月、玄関に何を飾っただろうか。
その飾りは、誰のために立てたのか。
そして、その「誰か」は、ほんとうに、あなたが思い描いているような存在なのだろうか。

盆と正月は「同じ扉」が開く時

 
「盆と正月が一緒に来たようだ」という慣用句がある。
忙しさや喜びが重なることの喩えとして、私たちは何気なく使っている。だが、この言い回しの底には、古代日本人の世界観が透けて見える。

盆と正月。

この二つの行事は、半年という周期を隔てて、奇妙なほど対称的に配置されている。
そして、どちらも「死者が帰ってくる」時期として認識されてきた。


お盆には、迎え火を焚き、精霊馬を作り、故人の霊を家に迎える。
ナスの牛、キュウリの馬、提灯の灯り。
これらはすべて、あの世からこの世へと渡ってくる死者のための道標であり、乗り物であり、休息所である。
そして盆の終わりには送り火を焚いて、霊を再びあの世へと送り返す。


この構造は、正月の行事と、不気味なほど重なる。
門松は道標であり、鏡餅は供物であり、どんど焼きは送り火である。
では、盆に帰る霊と、正月に降りてくる年神に、本質的な違いはあるのだろうか。

一つの解釈として、盆は「個別の死者」を迎え、正月は「祖霊の集合体」を迎える、という区別がなされることがある。
盆には、亡くなった祖父母や父母という、まだ記憶に新しい、名前と顔を持った霊が帰ってくる。
一方、正月に降りてくるのは、もはや個々の人格を失い、ひとつに溶け合った祖霊たちの総体としての「年神」である、と。

この説には一定の説得力がある。
実際、盆の供養では故人の戒名を記した位牌が中心に据えられるのに対し、正月の年神には特定の名前がない。
人格を持った「誰か」ではなく、抽象化され、神格化された存在として迎えられるのだ。


しかし、別の見方もできる。
盆と正月は、同じ一枚の扉の、表と裏なのではないか。
夏の盆は、死者が「向こう」から「こちら」へ帰ってくる。
冬の正月は、死者が「上」から「下」へ降りてくる。
方向が違うだけで、起きていることは同じ。
あの世とこの世を隔てる膜が薄くなり、死者が生者の領域に入り込んでくる。
一年に二度、その扉が開く。


だとすれば、私たちは毎年、半年ごとに、死者と直接対面していることになる。

盆に帰ってくる霊は、まだ顔が見える。
記憶の中に姿がある。
だから私たちは、その存在を「懐かしい」と感じることができる。

だが、正月に降りてくる年神は、もう顔がない。
声も、匂いも、個性も、すべて消え去り、ただ「祖霊」という概念だけが残っている。
それは、人間であった頃の面影をすっかり失った、いわば「純粋な死」の形態である。

盆の死者はまだ人間に近い。
正月の年神は、もはや人間ではない。

あなたは、どちらがより恐ろしいと思うだろうか。

私は、正月の方が恐ろしいと思う。
顔のない来訪者。
名前のない客。

無数の死者が融合し、練り固められた、巨大で、古い、何か。
それが、山から降りてくる。
あなたの家に向かって。

「歳徳神」の美しい絵姿に隠された「記号」

 
歳徳神、と聞いて、どのような姿を思い浮かべるだろうか。

多くの暦や縁起物に描かれる歳徳神は、十二単を纏った美しい姫神の姿をしている。
恵方巻を食べるときに向く「恵方」とは、その年の歳徳神がいる方角のことであり、私たちは福徳を授けてくれる優雅な女神を想像しながら、太巻きを頬張っている。


この美しい絵姿は、いつ、誰によって定められたのか。

実のところ、歳徳神の図像が「美しい姫神」として定型化したのは、比較的新しい時代のことである。
江戸時代以降、暦の普及とともに、歳徳神は陰陽道や暦学の体系の中に組み込まれ、洗練された視覚イメージを獲得していった。


だが、それ以前、農村で信じられていた「年神」の姿は、どのようなものだったのか。

記録はほとんど残っていない。
いや、残っていないのではなく、そもそも「姿」という概念自体が、当てはまらなかったのかもしれない。


各地の民俗調査を紐解くと、年神が「目に見えない存在」として扱われていたことを示す習俗が数多く見つかる。
たとえば、東北地方の一部では、大晦日の夜、囲炉裏の自在鉤(じざいかぎ)が勝手に揺れることがあるという。
それは、年神様が座敷に座った証拠であり、その瞬間を決して見てはならないとされた。


なぜ、見てはならないのか。

見てしまったら、何が起こるのか。

伝承はそれ以上を語らない。
だが、その沈黙こそが雄弁である。
年神の「本来の姿」は、人間が見てよいものではなかったのだ。

ここで、私はひとつの推論を提示したい。

歳徳神の「美しい姫神」という姿は、本来の年神を「見えない」ままにしておくための、一種の覆いだったのではないか。

暦に描かれた優雅な図像は、人々の恐怖を和らげ、来訪者を「福の神」として認識させるための、意図的な演出である。
その絵姿を信じている限り、私たちは本当の年神を見なくて済む。


しかし、その覆いの下には、姿なき来訪者が、今も昔と変わらず存在している。

農村の人々が恐れた、異形の「何か」が。
もしも、美しい姫神の絵姿が剥がれ落ちたら、その下から現れるのは、どのような顔なのだろうか。

あるいは、顔などないのかもしれない。
暗い山の、さらに暗い奥から降りてくる、顔のない来訪者。
私たちは、毎年、その存在を家に招き入れている。

なぜ神様は「高い場所」からやってくるのか

 
年神は山から降りてくる。
この「山」という空間が持つ意味を、もう少し掘り下げて考えてみたい。
日本人にとって山は、古来より「異界」であった。
生活の場である里や平野と対比され、山は人間の論理が通用しない、神々と精霊と、そして死者が住まう領域として認識されていた。


山には天狗がいる。
山姥がいる。
迷い込んだ者を惑わす狐や狸がいる。
そして何より、死者がいる。


日本各地に「山の神」信仰が存在するが、その「山の神」は、しばしば祖霊と同一視される。
人が死ぬと、その魂は山に登る。
そこで浄化され、やがて祖霊の一部となる。この信仰は、山岳地帯の村落では特に根強く、今でもその名残を見ることができる。


だが、なぜ死者は山に行くのか。

一つには、地理的な理由がある。
山は里から見て「上」にある。
太陽が昇る東、そして天に近い上方は、洋の東西を問わず、聖なる方角とされてきた。
死者の魂が天に昇るという観念は、山への上昇と重なり合う。

しかし、それだけではない。

山は、生者が容易に立ち入れない場所でもある。
険しい斜面、深い森、獣の気配。
山に入るということは、日常から非日常へ、安全から危険へ、生から死へと踏み出すことを意味した。
だからこそ、山に入る際には作法があり、禁忌があり、守り札があった。


山は、死の領域なのだ。

そしてその死の領域から、年神は降りてくる。

降りてくる、という言葉の重さを、私たちは正しく受け止めているだろうか。

山の上には、私たちの先祖がいる。
その数は、累々と積み重なっている。
一人や二人ではない。
何世代、何十世代にもわたる死者たちが、山の上に、あるいは山の中に、あるいは山そのものとして、存在している。

その彼らが、正月になると、一斉に山を降りてくる。
下界の、かつて自分たちが住んでいた家に向かって。

想像してみてほしい。
年の瀬、大晦日の夕暮れ。
あなたが住む町や村を囲む山々の稜線を。
その向こうから、何かが降りてくる。
目には見えない。
足音も聞こえない。
だが、確実に、近づいてくる。
無数の、顔のない、名前を忘れられた、古い古い死者たちが。


あなたの玄関に向かって。

あなたが立てた門松を目印にして。

これが、年神様が「いらっしゃる」ということの、本来の意味なのかもしれない。

私たちは、毎年、死者の軍勢を迎え入れている。

そう考えると、正月の様々な習俗が、まったく違った様相を帯びてくる。

門松は、道標である。
山から降りてきた死者が、迷わず自分の家を見つけられるように。

しめ縄は、結界である。
家を清浄に保ち、招くべき死者だけを迎え入れるために。


鏡餅は、供物である。
死者を饗応し、その力を分け与えてもらうために。

そして正月三が日の静けさは、死者とともに過ごす、沈黙の時間なのだ。

 
次の章では、その道標たる門松について、より深く掘り下げていく。
玄関先に立つ緑の飾りが、なぜ「墓標」の記憶を宿しているのか。
その問いに向き合う準備は、できているだろうか。

門松という名の「依り代」:玄関先に立つ墓標の記憶

常緑の松に宿る「永遠という名の死」

 
門松の主役は、言うまでもなく「松」である。
竹や梅が添えられることもあるが、名称が示す通り、この飾りの本体は松だ。
では、なぜ松なのか。


表向きの理由は、よく知られている。
松は常緑樹であり、冬でも葉を落とさない。
その生命力が、長寿と繁栄の象徴として尊ばれた、と。

だが、ここで少し立ち止まって考えてみたい。

「枯れない」ということは、本当に「生命」の象徴なのだろうか。
自然界において、生命は常に変化し続ける。
春には芽吹き、夏には茂り、秋には色づき、冬には枯れる。
この循環こそが生命の証であり、変化することは生きていることと同義である。

しかし松は、変化しない。

春も夏も秋も冬も、同じ緑を保ち続ける。
周囲の木々が季節の移ろいに従って姿を変えていく中で、松だけは取り残されたように、永遠に同じ姿を維持している。

この「変化のなさ」は、生命というよりもむしろ、死を連想させないだろうか。

死者は変化しない。
時間が止まっている。
生きている者が老い、病み、衰えていく間も、死者は死んだときの姿のままである。
写真の中で微笑み続け、記憶の中で同じ言葉を繰り返す。


松の緑は、その「止まった時間」の色なのではないか。
墓地に植えられる木は、しばしば常緑樹である。
杉、檜、そして松。これらの木々が墓地に選ばれるのは、手入れが楽だからとか、見た目が整っているからという実用的な理由だけではあるまい。
死者の眠る場所には、死者にふさわしい木が必要だったのだ。
変化せず、枯れず、永遠に同じ姿を保つ木が。


そう考えると、門松に松が選ばれた理由も、新たな解釈が可能になる。
門松は、生命力の象徴ではなく、「死者の時間」の象徴なのではないか。
私たちは玄関先に、死者の木を立てている。

山から降りてくる死者たちが、一目でそれと分かるように。
「ああ、ここが私の家だ」と、懐かしく思い出せるように。

墓地の入り口に立つ木と、家の入り口に立てる松と。
その二つは、本質的に同じものなのかもしれない。

「松迎え」は死者を迎えに行く儀式だった

 
かつて、門松に使う松は、自分たちで山へ切りに行くものだった。

この行事は「松迎え」と呼ばれ、多くの地域で、正月準備の重要な一環とされていた。
十二月中旬から下旬にかけて、家の主人や若者たちが山へ入り、門松にふさわしい松の枝を選び、切り取って持ち帰る。


一見すると、ただの材料調達に過ぎない。
現代の感覚で言えば、ホームセンターに正月飾りを買いに行くのと変わらないように思える。


 
だが、前章で述べたことを思い出してほしい。

 
山は、異界である。
死者が住まう場所である。


そこへ足を踏み入れるということは、生者が死者の領域に入り込むということだ。
これは、本来、非常に危険な行為である。
作法を間違えば、戻ってこられなくなるかもしれない。
山の神の怒りを買うかもしれない。
あるいは、招かざる何かを連れ帰ってしまうかもしれない。


だからこそ、松迎えには様々な作法と禁忌が伴った。
特定の日時を選び、特定の方角から山に入り、特定の言葉を唱えながら松を切る。
これらの作法は、地域によって異なるが、そこには共通する感覚がある。
山へ入ることの「畏れ」である。


そして、その畏れの中で切り取られた松は、単なる植物の枝ではなくなる。

それは、異界の一部を、この世に持ち帰ったものである。

山の精気、山の神の息吹、そして──山に眠る死者たちの気配を、その緑の葉に纏わりつかせて。

松迎えとは、文字通り、死者を迎えに行く儀式だったのではないか。

山から松を持ち帰るとき、人々は同時に、祖霊たちをも連れ帰っていたのではないか。
松は、年神の依り代であると同時に、年神そのものを運ぶ乗り物でもあったのだ。


現代では、門松は買うものになった。
園芸店やスーパーで、プラスチックの台座に固定された小さな松飾りを購入し、玄関に設置する。
山へ行く必要はない。異界に足を踏み入れる必要はない。


それは便利になったということでもあるし、安全になったということでもある。

だが、同時に、何かが失われたということでもある。

買ってきた門松には、山の気配がない。
死者の気配がない。


年神様は、そのような松を目印にして、ちゃんと降りてきてくださるのだろうか。

あるいは、松が軽くなった分だけ、降りてくるものも軽くなったのかもしれない。
かつて山から連れ帰った重い何かの代わりに、今は空っぽの器だけが玄関に立っている。


その空っぽの器に、何かが宿ろうとしている。

それが何なのかは、誰にも分からない。

 竹の切り口が見つめる「虚無の目」

 
門松には、松だけでなく竹が添えられることが多い。

特に、斜めに切られた竹が三本、段違いに立てられているデザインは、現代の門松の典型的なイメージとなっている。
この斜めの切り口は「笑い口」と呼ばれ、口を開けて笑っているように見えることから、縁起が良いとされる。


だが、私はあの切り口を見るたび、別のことを考える。

あれは、目ではないだろうか。

斜めに切られた竹の切り口は、楕円形をしている。
そして、中は空洞である。暗い穴が、ぽっかりと開いている。


それは、こちらを見つめる目のように見えないだろうか。

三本の竹には、三つの目がある。
高さの違う三つの目が、通りを歩く人々を、家に出入りする家族を、じっと見ている。


何を見ているのか。

誰を探しているのか。

竹の中は、空洞である。
虚無である。何もない。


その「何もなさ」が、目の形をしてこちらを見ている。

私はここで、根拠のない推測を述べているのではない。

門松を「目」として解釈する民俗学的な議論は、管見の限り存在しない。斜め切りの竹が導入されたのは、おそらく江戸時代以降のことであり、松を主体とするより古い形式の門松には、竹は含まれていなかったとも言われる。

だが、それでも、私はあの切り口が気になる。

年神は、目に見えない存在である。
姿を見てはならないとされる存在である。


その年神が、門松を依り代として、この世に降り立つ。

もしも門松が年神の「依り代」であるなら、年神はそこから外を見ているはずだ。

降り立った家を見ている。
家族を見ている。
訪れる客を見ている。


そして、選んでいる。

何を選んでいるのかは分からない。
連れて帰る者を選んでいるのかもしれないし、福を授ける者を選んでいるのかもしれない。


いずれにせよ、門松は見ている。

次にあなたが門松の前を通りかかったとき、ぜひ立ち止まって、竹の切り口を見てみてほしい。

三つの暗い穴が、あなたを見返しているはずだ。

役目を終えた飾りが「焼かれる」理由

 
正月飾りは、松の内が明けると外される。

そして多くの地域では、一月十五日の小正月に行われる「どんど焼き」で焼却される。
正月飾り、書き初め、古いお守りなどを一箇所に集め、大きな火を焚いて燃やす。
その火で焼いた餅や団子を食べると、一年間無病息災でいられるという。


この行事は、「お焚き上げ」とも呼ばれ、神聖な火によって清められた煙とともに、神様を天にお送りする儀式だと説明されることが多い。

だが、私は別の可能性を考えずにいられない。

どんど焼きの火は、本当に「神様をお送りする」ための火なのだろうか。
それとも、「何かを焼き尽くす」ための火なのだろうか。

年神が祖霊であるという説に従えば、正月の間、私たちは死者を家に迎え入れていたことになる。
門松という依り代に宿り、鏡餅という供物を受け取り、私たちと共に過ごした死者たち。


その死者たちは、松の内が明けると、帰らなければならない。

山へ。異界へ。あの世へ。

しかし、中には帰りたくない者もいるかもしれない。
この世が恋しい者、
家族が恋しい者、まだここにいたいと執着する者。

あるいは、帰る場所を忘れた者。

依り代に宿ったまま、離れられなくなった者。

そのような存在を、どうやってあの世に送り返すのか。

火である。

火は、洋の東西を問わず、浄化と変容の象徴である。
火によって焼かれたものは、その形を失い、煙となって天に昇る。
あるいは、灰となって大地に還る。
いずれにせよ、この世のものではなくなる。


どんど焼きの火は、門松に宿った年神を「送る」火であると同時に、この世に残ろうとする死者を「焼き尽くす」火でもあるのではないか。

だからこそ、どんど焼きの火は大きくなければならない。
だからこそ、その火は神聖視され、その煙を浴び、その火で焼いたものを食べることが推奨される。
火の力によって、私たちは死者を追い払い、自らを清め、新しい年を生きる資格を得る。


この解釈が正しいとすれば、どんど焼きは盆の「送り火」と、構造的に全く同じである。

 
盆には迎え火で死者を迎え、送り火で死者を送り返す。
正月には門松で死者を迎え、どんど焼きで死者を送り返す。
迎えたら、送らなければならない。
招いたら、帰さなければならない。

その作法を怠ったとき、何が起こるのか。
昔の人々は、知っていたのかもしれない。

饗応と沈黙:死者と共に食らう「魂」の味

鏡餅という「魂の分身」を割るということ

 
鏡餅。

丸い餅を二つ重ね、その上に橙を載せた、正月の象徴的な飾り物。
神棚や床の間に供えられ、松の内が明けると「鏡開き」として割って食べる。

この「鏡」という名前の由来については、諸説ある。
丸い形が古代の銅鏡に似ているから、という説。
餅の表面が鏡のように滑らかだから、という説。
しかし、私がここで注目したいのは、別の解釈だ。


 
「鏡」とは「鑑(かがみ)」であり、己の姿を映し、省みるものである。
そして、鏡餅に映る「己の姿」とは、生きている今の自分ではなく、やがて死んでいく自分、あるいは死んだ後の自分の姿なのではないか。

餅は、古来より「魂」を象徴するものとされてきた。
正月に餅を食べるのは、新しい年を生きるための生命力を、餅に宿る力によって補充するためだとも言われる。


では、その「力」は、どこから来るのか。
年神から、である。

年神が、餅に宿る。
山から降りてきた祖霊たちの力が、白い餅の中に凝縮される。
私たちがその餅を食べるとき、私たちは年神の力を、祖霊の力を、身体の中に取り込む。


これは、呪術的な意味での「共食」である。

「共食」とは、神と人が同じ食物を分かち合うことによって、両者の間に絆を結び、神の力を人間に移す行為である。
神社の祭りの後に行われる「直会(なおらい)」は、この共食の典型例である。
神に捧げた供物を下げ、参列者がそれを食べることで、神の霊力を分かち合う。


鏡餅も、同じ構造を持っている。

年神に供えた餅を、鏡開きで割り、私たちが食べる。
そのとき、私たちは年神と「共食」している。


だが、ここで思い出してほしい。
年神は祖霊である。
死者である。

私たちは、死者と共に食べている。

死者の力を、死者の魂を、私たちは身体の中に取り込んでいる。

鏡開きで餅を「割る」という行為も、示唆的である。
なぜ「切る」ではなく「割る」なのか。
「切る」という言葉が忌避されるのは、縁起が悪いからだと説明されることが多い。
しかし、もう一つの解釈も可能だ。

「割る」とは、分かち合うことである。
一つのものを、二つ以上に分けること。

鏡餅に宿った年神の魂を、家族で分かち合う。
父も、母も、子供たちも、皆がその一片を口にする。
そのとき、年神の魂は、家族全員の身体の中に入る。


私たちは、死者を食べている。
先祖の魂を、文字通り、喰らっている。
これは恐ろしいことだろうか。
それとも、神聖なことだろうか。

おそらく、その両方なのだろう。

なぜ正月は「掃除」をしてはいけないのか

 
正月三が日は、掃除をしてはいけない。

これは、多くの地域で言い伝えられている禁忌である。
理由として一般的に言われるのは、「福を掃き出してしまうから」というものだ。
正月に舞い込んだ福を、箒で掃いて外に出してしまう。
だから掃除をしてはいけない。


この説明は、分かりやすく、納得しやすい。

だが、私は別の解釈を提案したい。

正月三が日、家の中には年神様がいらっしゃる。
門松を目印に降りてきた祖霊たちが、家族と共に過ごしている。

もしもそこで掃除をしたら、どうなるか。

箒は、塵や埃を集めて外に出す道具である。
だが、年神様──つまり死者の霊──は、目に見えない存在である。
その存在は、あるいは「塵」のようなものかもしれない。
空気中に漂い、床に積もり、物の隙間に入り込む、微細な粒子のようなもの。


掃除をすれば、それを掃き出してしまう。
招いたばかりの客を、文字通り、追い出してしまう。
これは、極めて無礼なことである。
そして、おそらく危険なことでもある。


あるいは、こうも考えられる。
死者が立てる「塵」を、静かにしておかなければならないのではないか。
死者が家にいる間、彼らは何かを残す。
気配を、痕跡を、この世には存在しないはずの何かを。
それは目には見えないが、確かにそこにある。
埃のように積もり、塵のように漂う。

その塵を掃いてしまえば、死者の痕跡が消える。
死者がいた証拠が消える。

それは、死者にとって、どれほど悲しいことだろうか。

せっかく山を降りてきて、懐かしい家に帰ってきたのに、その存在を認めてもらえない。
痕跡を残す前に、すべて掃き清められてしまう。

だから、正月は掃除をしてはいけない。
死者の塵を、そのままにしておかなければならない。
彼らがいた証を、残しておかなければならない。

 
次の正月、あなたが三が日の間、ふと床に積もった埃に気づいたら、それをそのままにしておいてほしい。
それは、年神様の足跡かもしれないから。

「若水(わかみず)」に映る、見知らぬ自分の顔

 
元旦の朝、最初に汲む水を「若水」と呼ぶ。
この水は、特別な力を持つとされてきた。
若水を飲めば、その年一年を健康に過ごせる。
若水で顔を洗えば、若返る。
若水で炊いたご飯は、格別に美味しい。


「若い水」という名が示す通り、若水は生命力の象徴である。
新しい年の、新しい水。
古い年の穢れを落とし、新鮮な力を身体に取り込む。

だが、ここで立ち止まって考えてみたい。

元旦の朝、外はまだ暗い。
あるいは薄明るい。

井戸や川から水を汲むとき、その水面には何が映るだろうか。
自分の顔が、映るはずだ。
薄暗い中で、水面に映る自分の顔。
それは、日中に鏡で見る顔とは、どこか違って見えないだろうか。

輪郭がぼやけ、表情が読み取りにくく、どこか別人のように見える。
あるいは──
自分ではない、誰かの顔に見えることはないだろうか。

若水は、「若返りの水」であると同時に、あの世とこの世を繋ぐ水でもある。

水は、古来より、異界との境界とされてきた。
川は此岸と彼岸を分かち、海は常世の国へと続く道である。
三途の川を渡るという死後の世界観は、水が生と死を隔てているという感覚を端的に示している。


元旦の朝、まだ暗い中で汲む水は、どこから来た水なのか。
地下から湧き出た水。
山から流れてきた水。
空から降った雨が、大地に染み込み、再び地上に現れた水。


その水の来歴を辿っていくと、やがて「山」に行き着く。
そして山は、死者が住まう場所である。
若水は、山から──死者の国から──流れてきた水なのではないか。
その水を汲み、顔を洗い、口をすすぐ。

そのとき、私たちは死者の国の水を身体に取り込んでいる。

若水に映る顔が、自分とは少し違って見えるのは、その水面が、黄泉の国と繋がっているからかもしれない。

水面の向こうから、誰かがこちらを見ている。
それは、年神様かもしれない。
祖霊かもしれない。
あるいは、いずれ自分もそこへ行くことになる、死後の自分自身かもしれない。

次の元旦、若水を汲む機会があれば、その水面をじっと見つめてみてほしい。

映っているのは、本当にあなた自身だろうか。

箸が二本とも細い理由:神と人が同時に食べる恐怖

 
正月に使う「祝箸」は、両端が細くなっている。

普通の箸は、食べ物をつまむ方だけが細く、手で持つ方は太い。
しかし祝箸は、両方が同じように細い。


この理由を、あなたはご存知だろうか。

一般的な説明は、こうだ。
祝箸の片方は人間が使い、もう片方は神様が使う。
神と人が同じ箸で同じ食事をいただく。
これが「神人共食(しんじんきょうしょく)」であり、祝箸はその象徴である。


なんと美しい説明だろう。
神様と食卓を共にする。
同じ料理を、同じ箸で食べる。
神様の祝福を、そのまま身体に取り込む。

だが、この説明を聞いて、私は背筋が寒くなる。

なぜなら、年神は祖霊だからだ。
祝箸のもう片方を使っているのは、抽象的な「神様」ではない。
あなたの死んだ祖父かもしれない。
祖母かもしれない。
あるいは、もっと古い、顔も名前も知らない先祖かもしれない。


想像してみてほしい。
元旦の朝、おせち料理を囲む食卓。
あなたは祝箸を手に取り、黒豆に箸を伸ばす。

そのとき、箸のもう片方を、誰かが持っている。
目には見えない。
気配も感じない。
しかし確かに、そこにいる。

あなたが黒豆をつまんで口に運ぶとき、「誰か」も同じように、箸のもう片方で何かをつまんでいる。

何をつまんでいるのか。
おせちの料理か。
それとも、別の何かか。


祝箸が両細なのは、神人共食のため。

では、もし隣に座っているのが、亡くなったはずの祖父だったら。
もし向かいに座っているのが、写真でしか見たことのない曾祖母だったら。

もし食卓を囲んでいるのが、生きている家族よりも、死んだ家族の方が多かったら。

正月の食卓は、にぎやかで、華やかで、幸福の象徴である。
しかし、その食卓には、目に見えない客がいる。

私たちは、死者と共に食べている。
祝箸を手に取るたび、私たちはその事実を、無意識のうちに確認している。

現代の静寂と、飢えた神々の行方

プラスチックの門松には「誰」も宿らないのか

 
現代の正月風景は、かつてとは大きく変わった。

玄関先に立つ門松は、ホームセンターで買ってきたプラスチック製のものが多い。
本物の松ではなく、緑色のビニールで作られた造花。
山から切り出したものではなく、工場で大量生産されたもの。


鏡餅も同様だ。
餅屋で搗いてもらった本物の餅ではなく、プラスチックの容器に個包装の切り餅が入っている「鏡餅セット」が主流になっている。

橙も、本物ではなくプラスチック製だ。

これらの変化を、私は批判したいわけではない。

現代の生活には、現代の事情がある。
本物の松を山から切り出してくる時間も、技術も、環境もない。
餅をつく臼と杵を持っている家庭は稀だ。
簡略化は、必然であり、合理的な選択である。


だが、ここで一つの問いが浮かぶ。

プラスチックの門松には、年神様は宿るのだろうか。
依り代というものは、その素材や来歴が重要である。
山から切り出した松には、山の気配が宿る。
死者の住まう山から持ち帰った植物だからこそ、死者はそこに降りてくることができる。


では、工場で作られたプラスチックには、何が宿るのか。
石油から精製され、化学的に合成され、金型に流し込まれて成形されたもの。
そこには山の気配も、死者の記憶も、何もない。

もちろん、「形」が重要なのだという考え方もある。
松の形をしていれば、それは松である。
神様は形を認識し、そこに降りてくる。素材は関係ない。


その考え方が正しいかどうか、私には分からない。
ただ、一つだけ確実に言えることがある。
もしも依り代の素材が重要であり、プラスチックには何も宿らないのだとすれば、現代の正月は、かつてとは全く異なるものになっている。
私たちは、空っぽの器を飾り、空っぽの餅を供え、誰もいない食卓で祝箸を手に取っている。

年神様は来ない。
祖霊は降りてこない。

門松は立っている。
しかし、そこには誰もいない。

これは、悲しいことだろうか。
それとも、安堵すべきことだろうか。

死者が来ないということは、死者と向き合わなくてよいということだ。
あの世を意識しなくてよいということだ。
自分がいずれ死ぬことを、思い出さなくてよいということだ。


現代の正月は、「死」から切り離された祝祭になっている。
それは、一種の解放かもしれない。
だが、同時に、一種の喪失でもある。

「おめでとう」という言葉の本来の重み

 
「あけましておめでとうございます。」
この言葉を、私たちは毎年、何十回、何百回と口にする。
メールで、SNSで、年賀状で、直接顔を合わせて。

あまりに頻繁に使うので、その言葉の意味を考えることは、ほとんどない。

「おめでたい」とは、何がめでたいのか。

新しい年が来たことか。
一歳年を取ることか。
今年も頑張ろうという決意か。


違う。

「おめでとう」の本来の意味は、「生き延びた」ということだ。

かつて、年の変わり目は、危険な時期だった。

門松は墓標であり、年神は死者であり、正月は死者が帰ってくる季節である。
その死者たちは、福をもたらすと同時に、災いをもたらす可能性もあった。
不注意な者、作法を誤った者、あるいは単に運の悪い者は、死者に連れて行かれたかもしれない。


正月三が日を無事に過ごし、松の内が明け、死者たちが山に帰っていく。
その時、初めて、人々は胸を撫で下ろしたのではないか。

「ああ、今年も生き延びた。」

「おめでとう」とは、その安堵の言葉なのだ。

死者の季節を乗り越え、命を更新し、新しい年を生きる資格を得た。
そのことへの祝福。生存確認。


現代の「あけましておめでとう」には、その重みがない。

年が変わることは、カレンダーの数字が変わることに過ぎない。
危険も、緊張も、死の気配もない。
ただ儀礼的に、習慣的に、意味を考えることなく口にする言葉。


だが、もしも年神が本当に祖霊であり、正月が本当に死者の季節であるならば。

「おめでとう」という言葉には、もっと深い意味があるはずだ。

今度、誰かに「あけましておめでとう」と言うとき、少しだけ、その言葉の重みを感じてみてほしい。

あなたは、死者の季節を生き延びた。
それは、本当に、おめでたいことなのだ。

忘れられた「供養」としての正月飾り

 
私たちは、正月飾りを「季節の行事」として片付けている。
クリスマスツリーを片付け、門松を出す。
門松を片付け、ひな人形を出す。
季節ごとの飾り物を、順番に入れ替えていく。
それは生活を彩る習慣であり、四季を感じる風物詩であり、それ以上の意味は、あまり考えない。


だが、正月飾りの本来の意味を考えると、それは「供養」だったのではないか。

死者を迎え、死者をもてなし、死者を送り返す。

その一連の行為は、死者への供養そのものである。
盆に行う供養と、正月に行う供養。

どちらも、死者を忘れないという意思表示であり、死者と生者の絆を確認する儀式であり、命の連続性を実感する機会である。

私たちの命は、無数の死者の上に成り立っている。
父母がいて、祖父母がいて、曾祖父母がいて、その先にも、無数の先祖がいる。
その一人でも欠けていたら、私たちは存在しなかった。

正月飾りは、その事実を思い出させる装置だったのではないか。
門松を見て、鏡餅を見て、私たちは先祖を思い出す。
彼らがこの家に住んでいたことを。
彼らがこの土地を耕していたことを。
彼らがいたからこそ、今の自分がいることを。


しかし現代では、その「思い出す」という行為が、薄れている。
門松を見ても、先祖を思い出さない。
鏡餅を見ても、死者を想起しない。
正月は、単なる休日であり、初売りに行き、テレビを見て、家でゴロゴロする期間に過ぎない。


死者は、忘れられている。

彼らの存在は、私たちの意識から、消えつつある。
これは、悲しいことだろうか。
それとも、仕方のないことだろうか。

 
いずれにせよ、忘れられた者たちは、どこかで待っている。
山の上で。異界で。あの世で。
自分たちを思い出してくれる日を、待っている。

今、あなたの背後に立つ「年神様」

 
このエッセイを読んでいる、今この瞬間。
あなたの背後に、誰かがいるかもしれない。
もちろん、これは比喩的な言い方である。
振り返っても、そこには誰もいないだろう。
壁があり、窓があり、家具があるだけだ。

しかし、「いない」ということを、どうやって証明できるだろうか。
年神は、目に見えない存在である。
姿を見てはいけないとされる存在である。
だから、見えないのは当然だ。

いないから見えないのか、それとも、いるけれど見えないのか。
その区別は、どうやってつけるのか。
正月の間、年神は家の中にいる。
門松を目印に降りてきて、鏡餅に宿り、私たちと共に過ごす。
そして松の内が明けると、どんど焼きの煙とともに、山へ帰っていく。


だが、もしも帰り損ねた者がいたら。
もしも、どんど焼きで焼かれず、そのままこの世に残ってしまった者がいたら。

彼らは、今も、どこかにいるのかもしれない。
誰かの家の片隅に。
誰かの背後に。
誰かのすぐそばに。

気配を殺して、じっと佇んでいる。
思い出してもらえる日を、待っている。
これは、怖い話だろうか。
それとも、悲しい話だろうか。

私には、両方に思える。
怖くて、悲しくて、そして、どこか懐かしい。

年神様は、他人ではない。
私たちの先祖であり、私たちの血であり、私たちのルーツである。
彼らは、私たちに害をなすために来るのではない。
ただ、会いに来るのだ。
かつて愛した家に。かつて育てた子孫に。
一年に一度、山を降りて。

もしも今、あなたの背後に年神様がいるとしたら。
それは、あなたを見守っているのかもしれない。
あるいは、あなたの顔を、懐かしそうに眺めているのかもしれない。
「ああ、この子も大きくなった。」
「この子の顔には、私の面影がある。」
そんなことを、考えているのかもしれない。

振り返らなくていい。
見えなくていい。
ただ、知っておいてほしい。
あなたは、一人ではない。
無数の死者が、あなたを見守っている。
それを、怖いと思うか、心強いと思うかは、あなた次第だ。



一休宗純は、こう詠んだという。

「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

門松は、死への道程を示す道標である。

 
一年また一年、私たちは門松を立てながら、一歩また一歩、冥土へと近づいていく。
新しい年を迎えることは、めでたい。
だが、それは同時に、死へ一年近づいたということでもある。

だから、めでたくもあり、めでたくもなし。
一休のこの言葉は、しばしば厭世的なシニシズムとして解釈される。

しかし、私は別の読み方をしたい。
門松が冥土への一里塚であるならば、私たちは毎年、少しずつ、先祖たちに近づいているということだ。
山の上で待っている彼らに、一歩ずつ、近づいている。
いつか、私たちも山に登る日が来る。
そのとき、門松は、もう立てる側ではなく、目指す側になる。
子孫たちが立てた門松を目印に、山を降りていく。
懐かしい家に帰り、懐かしい顔を見て、懐かしい料理を供えてもらう。
そして松の内が明ければ、また山に帰る。
来年も、その翌年も、永遠に。

それは、怖いことだろうか。
私には、そうは思えない。
むしろ、どこか安心する。
死は、終わりではない。
死んでも、家に帰れる。
年に一度、子孫たちに会える。
門松を立ててもらえる限り、忘れられることはない。

 
だから、あなたも、門松を立ててほしい。
本物の松でなくてもいい。
プラスチックでもいい。

大事なのは、「立てる」という行為そのものだ。
先祖を思い出すこと。
死者を迎え入れること。
命の連続性を、意識すること。

そうすれば、年神様は来る。
山から、降りてくる。
あなたの家に向かって。
あなたを、見守るために。


さあ、もうすぐ正月が来る。
あなたは、どんな門松を立てるだろうか。
そして、どんな「客」を迎え入れるだろうか。

静かに、目を閉じてみてほしい。
遠くから、足音が聞こえないだろうか。
山の方角から、何かが降りてくる気配がしないだろうか。
それは、新しい年の希望かもしれない。
あるいは、あなたを迎えに来た、懐かしい誰かかもしれない。

いずれにせよ、その「客」は、あなたの家に向かっている。
門松を目印にして。

 
今年も、来年も、その先も。
永遠に。