あなたの家の火は、誰を招いたのか
お盆が終わった翌朝のことを、思い出していただきたい。
送り火を焚き、ご先祖様を見送り、精霊棚を片付けて、ようやく日常に戻る。
その安堵の朝、あなたは鏡の前に立って、自分の顔色が妙に土気色をしていることに気づかなかっただろうか。
あるいは、体の芯に残る鉛のような重さ。
いくら眠っても取れない疲労。喉の奥にこびりついた、言葉にならない渇き。
「お盆疲れ」という言葉は便利である。
親戚付き合い、墓参り、帰省の疲れ。
そう名付けてしまえば、あの異様な消耗にも説明がつく。
だが、かつて山陰の奥深い集落で暮らしていた私のお祖母様は、お盆明けに寝込む孫を見て、決して「疲れたね」とは言わなかった。
代わりに、枕元でこう囁いたものである。
「火ぃ焚いたらな、来てほしゅうないもんまで、寄ってくるけん」
来てほしくないもの。
それが何を指すのか、幼い私には分からなかった。
ご先祖様をお迎えするための火なのだから、来るのはご先祖様だけではないのか。
そう尋ねると、お祖母様は障子の向こうの闇を見つめながら、低い声で言った。
「先祖いうて入ってきたもんが、ほんまに先祖かどうか。誰が分かる」
あの言葉の意味を、私は長い年月をかけて理解することになる。
そして今、この文章を書きながら、お祖母様の言葉が単なる迷信ではなかったことを、確信している。
山陰の民俗伝承には、「ガキ仏」と呼ばれる存在がある。
餓鬼と仏。
相反するはずの二つの言葉が結びついたこの異形は、お盆という「境界が揺らぐ季節」に、私たちの日常のすぐ隣まで這い寄ってくる。
彼らは善意の先祖ではない。
むしろ、先祖という仮面を被り、あなたの焚いた火を盗み、あなたの供えた食物を奪い、そしてあなた自身の生気を吸い取ろうとする、飢えた影である。
このエッセイでは、山陰に伝わるガキ仏の伝承を紐解きながら、お盆という行事の裏側に潜む「招かれざる客」の実態を明らかにしていく。
読み終えたとき、あなたは来年の迎え火を焚く手が、少しだけ震えるかもしれない。
山陰の闇と「ガキ仏」の正体
境界の国、山陰の精神風土
山陰という土地を訪れたことのある方なら、あの独特の空気を覚えているだろう。
中国山地が日本海からの湿った風を遮り、盆地には霧が沈殿する。
晴れた日でさえ、山の端には靄がかかり、集落と集落の間に横たわる山道は、昼でも薄暗い。
古い神社の境内には苔が厚く積もり、石灯籠は緑に染まっている。
この土地では、「あちら側」と「こちら側」の距離が、他の地方よりもずっと近い。
伯耆の国、出雲の国、石見の国。古代から神々の通り道とされてきたこの地方には、黄泉比良坂という「あの世への入り口」があると伝えられてきた。
イザナギが亡き妻イザナミを追って降りていったという、あの坂である。神話の時代から、山陰は生者と死者が行き交う場所だった。
だからこそ、この土地には他の地方では聞かれない、奇妙な伝承が数多く残っている。
通常、日本各地の祖霊信仰では、死者は一定の期間を経て「ご先祖様」という浄化された存在になると考えられている。
三十三回忌、あるいは五十回忌を過ぎれば、個としての記憶は薄れ、家を守護する穏やかな霊となる。それが、いわば「正規の死者」の辿る道筋である。
しかし、すべての死者がその道を歩めるわけではない。
無縁仏。
餓死者。
行き倒れ。
水死体。
戦や疫病で弔われることなく朽ちた者たち。
彼らには「帰るべき家」がない。
お盆が来ても、迎え火を焚いて待っている遺族はいない。
彼らは三十三年経とうが、五十年経とうが、「先祖」という安らかな地位に昇ることができない。
そのような死者たちが、山陰の闇には、累々と積み重なっている。
お祖母様はかつて、こう言った。
「この辺りはな、昔から人がようけ死んどる土地じゃ。
飢饉も多かった、流行り病も来た、山で遭難した者も、海で溺れた者もおる。
ほいでもな、全部の死人を弔えるわけがなかろう。
弔うてもらえんかった者は、どこへ行く思う?」
私は答えられなかった。
「どこへも行けんのよ。ほいで、ここらの暗がりに、ずうっと溜まっとるんじゃ」
山陰の霧深い谷間は、そうした「先祖になれなかった者たち」の吹き溜まりなのだ、と。
ガキ仏とは何か――尊厳なき死者の群れ
「ガキ仏」という言葉を初めて聞いたのは、私が七つか八つの頃だった。
お盆の準備を手伝っていたとき、お祖母様が仏壇の前で、普段とは違う小さな皿に水と米を盛り、家の外の軒下にそっと置いた。
何をしているのかと尋ねると、お祖母様は眉をひそめてこう言った。
「ガキ仏さんにも、ちいとは分けてやらんとな。
何にももらえんと、中に入りたがるけん」
ガキ仏。
その響きには、仏という字が入っているにもかかわらず、どこか禍々しいものがあった。
仏教における「餓鬼」は、生前の強欲や嫉妬の報いとして、餓鬼道に堕ちた亡者を指す。
彼らは常に飢えと渇きに苛まれながら、食物を口にしようとすると炎に変わり、水を飲もうとすると膿に変わるという、永遠の飢餓地獄に囚われている。
喉は針のように細く、腹だけが異様に膨れ上がった、醜悪な姿で描かれる。
だが、山陰の「ガキ仏」は、仏教の餓鬼とは少し違う。
それは、仏教的な餓鬼のイメージと、土着の無縁仏信仰が混ざり合って生まれた、この土地独自の異形である。
彼らは必ずしも生前に強欲だったわけではない。
ただ、死後に弔われることなく、供養を受けることなく、飢えたまま彷徨い続けている者たちである。
その飢えは、食物への渇望だけではない。
彼らが本当に欲しているのは、「帰る場所」である。
お盆に迎え火を焚いてもらえる家。
供物を捧げてもらえる仏壇。
自分の名を呼んで、「おかえりなさい」と言ってくれる生者。
そうしたものを持たない彼らは、他の死者たちが家族のもとへ帰っていく季節、ますます飢えを募らせる。
そして、その飢えが極まったとき、彼らは禁忌を犯す。
他人の家の迎え火に、紛れ込むのである。
お祖母様は、ガキ仏の姿をこう語った。
「見たもんはおらん。
見えんのじゃ、普通には。
ただな、おる気配だけは分かる。
迎え火を焚いとるときにな、煙の向こうに何かがおる。
一人や二人やない、ようけおる。
ほいでな、火の明かりが届かん暗がりに、腹の膨れた影がうずくまっとるんじゃ。
目ぇだけが、こっちを見とる」
その目は、羨望と憎悪に満ちている、と。
自分たちには帰る場所がない。
迎えてくれる者がいない。
なのに、あの家の者たちは、温かい火を焚き、馳走を並べ、帰ってきた先祖を歓待している。
なぜ、自分たちだけが。
その問いが、長い歳月の中で怨念へと凝り固まり、やがて彼らを「寄生者」へと変えていく。
「先祖」という仮面を被るもの
迎え火には、本来、二つの機能がある。
ひとつは、帰ってくるご先祖様への目印となること。
もうひとつは、それ以外の霊を近づけないための結界となること。
藁や麻殻を燃やす煙には、邪なものを祓う力があると信じられてきた。
だが、その結界は完璧ではない。
特に、「お祖父ちゃんが帰ってきた」「お婆ちゃんの気配がする」と、生者の側が心を開いた瞬間、結界には大きな隙が生まれる。
ガキ仏たちは、その隙を狙っている。
彼らは巧妙である。
長い年月を彷徨ううちに、生者の心理を熟知している。
どうすれば迎え入れてもらえるか、どうすれば怪しまれないか、彼らは知り尽くしている。
だから、彼らは「先祖」という仮面を被る。
どういうことか。
ガキ仏は、その家の先祖が持っていた「気配」を模倣するのである。
生前の癖、好んでいた香り、足音の調子。
そうした微細な情報を、彼らは迎え火の煙を通じて読み取り、コピーする。
そして、本物の先祖霊に紛れて、あるいは先祖霊を押しのけて、家の敷居をまたぐ。
生者の側には、それを見分ける術がほとんどない。
お盆の夜、ふと仏壇の前に懐かしい気配を感じたとする。
祖父母や、若くして亡くなった親類の、温かい存在感。ああ、帰ってきてくれたんだな、と思う。その感覚自体は、間違いではないかもしれない。
だが、その温かさの隅に、どこか異質な「冷たさ」が混じっていないだろうか。
懐かしい気配の中に、かすかな「飢え」の感触がないだろうか。
お祖母様は言った。
「ほんまの先祖さんはな、何も求めんのよ。
帰ってきて、供え物を眺めて、家族の顔を見て、それで満足して帰っていかれる。
でもな、ガキ仏は違う。
あれらは満足せん。
いくら供えても、いくら拝んでも、もっと欲しい、もっと寄越せ言うて、吸い取ろうとする。
その違いが分からんと、えらいことになる」
えらいこと。
それが何を指すのか、お祖母様は具体的には語らなかった。
だが、その目には、何かを実際に見た者の怯えが宿っていた。
迎え火を焚いたとき、あなたの家に入ってきたものは、本当にご先祖様だっただろうか。
あの夜、仏壇の前で感じた「温かい気配」の正体を、あなたは確認したことがあるだろうか。
もし確認していないのなら――そして、お盆が終わった後に妙な疲労感を覚えたのなら――あなたの家には、今も何かが残っているかもしれない。
先祖の顔をした、飢えた影が。
火の簒奪――横取りされる儀式
迎え火の色が変わる瞬間
正常な迎え火というものを、私は幼い頃にお祖母様の家で幾度も見た。
焙烙に載せた麻殻に火を点けると、橙色の炎が立ち上る。
乾いた麻殻は勢いよく燃え、パチパチと小気味よい音を立てる。
煙は真っ直ぐに空へ昇り、やがて夕闇に溶けていく。炎が消えた後には、清浄な灰だけが残る。
これが、あるべき迎え火の姿である。
だが、お祖母様は火を焚く前に必ず、周囲の闇を見回していた。
何かを探すように、あるいは何かがいないことを確かめるように。
そして、火を点ける瞬間、小さく何かを呟いていた。
後にそれが「お呼びした方だけ、お入りください」という意味の古い言い回しであったことを知るのだが、幼い私はただ、お祖母様の横顔に浮かぶ緊張を不思議に思って見つめていた。
あるお盆の夜のことである。
その年は、いつもより蒸し暑く、空気が重かった。
迎え火を焚く時刻になっても、山の端に沈んだ太陽の残照が消えず、空は紫色に濁っていた。
お祖母様は何度か火を点けるのを躊躇い、最終的に例年より遅い時刻に麻殻に火を入れた。
炎は、最初は普通に見えた。
だが、燃え始めて間もなく、私は妙なことに気づいた。
煙が、真っ直ぐに昇らないのである。
まるで見えない手に押さえつけられているかのように、煙は低い位置で横に這い、やがてゆっくりと、玄関の方へ流れ始めた。
「お祖母ちゃん」
私が声をかけようとした瞬間、お祖母様が素早く私の口を手で塞いだ。
そして、信じられないほど厳しい目で私を見据え、首を横に振った。
声を出すな、という意味だと分かった。
お祖母様は、懐から塩を取り出すと、迎え火の周囲に円を描くように撒いた。
そして、低い声で何かを唱え始めた。私には聞き取れない、古い言葉だった。
すると、炎の色が変わった。
橙色だった火が、一瞬、青白く爆ぜたのである。
同時に、どこからともなく冷たい風が吹き、私は鳥肌が立つのを感じた。
八月の蒸し暑い夜に、まるで冬のような冷気が足元を這ったのだ。
お祖母様は唱え続けた。
やがて、炎は元の橙色に戻り、煙も真っ直ぐに昇り始めた。
お祖母様は深く息を吐き、ようやく私の口から手を離した。
「何があったの」
震える声で尋ねる私に、お祖母様は答えなかった。
ただ、火が完全に消えるまで、じっとその場に立ち尽くしていた。
後になって、お祖母様はこう教えてくれた。
「火の色がな、青うなったり、煙が横に流れたりしたら、寄ってきとるんじゃ。
ガキ仏がな、火を横取りしようとしとる。
ほいで、笑うんじゃ」
笑う。
「炎がな、揺れるじゃろう。
あれがな、普通の揺れ方やのうて、こう、ケタケタ笑うとるみたいに揺れることがある。
そうなったら、もう半分は入り込まれとる」
あの夜、私が見た青白い炎。
あれは、ガキ仏が迎え火に「触れた」瞬間だったのだ。
お祖母様の素早い対処がなければ、彼らは私たちの家の敷居をまたいでいたかもしれない。
あなたの家の迎え火は、どんな色をしていただろうか。
煙は、真っ直ぐに昇っていただろうか。
もし記憶が曖昧なら、それ自体が、すでに何かに触れられた証かもしれない。
供物を「腐らせる」力
お盆の供物には、意味がある。
水は渇きを癒すため。
果物は飢えを満たすため。
団子や菓子は、この世の味を思い出していただくため。
そして何より、「あなたのことを忘れていません」という、生者から死者への敬意の表明として。
正常なお盆では、供物は「受け取られる」。
物質としての果物や水は、そのまま残っている。
だが、そこに込められた念、敬意、あるいは生者の「氣」のようなものを、先祖霊は静かに受け取り、満足して帰っていく。
供え終わった果物を下げて食べると、どこか味が抜けているように感じることがある。
それは、先祖霊が「精」だけを受け取った証であり、本来は喜ばしいことなのだ。
だが、ガキ仏が関わると、事情は異なってくる。
彼らは「受け取る」のではなく、「奪う」。
その違いは、供物の状態に如実に表れる。
お祖母様の家の隣に住んでいた老婆が、ある年のお盆に異変を経験した。
その話を、私はお祖母様から聞いた。
その老婆は、仏壇に立派な桃を供えた。
朝採りの、瑞々しい桃である。ところが、供えてから一時間も経たないうちに、桃は萎び始めた。
夕方には、まるで一ヶ月も放置したかのように、皮は茶色く変色し、果肉は溶けるように崩れていた。
水も、濁った。
透明な水を入れた器が、いつの間にか、泥水のように濁っている。
異臭さえ漂っている。
老婆は恐れおののき、お祖母様に相談に来た。
お祖母様は仏壇を見るなり、顔色を変えた。
「入られとるね。ガキ仏に」
お祖母様の説明では、ガキ仏は供物から「精」だけでなく、物質そのものの生命力をも吸い取るのだという。
果物を腐らせ、水を濁らせ、そしてそれでも足りなければ、次は生者に手を伸ばす。
「先祖さんはな、分をわきまえとってじゃ。
自分の分だけもろうて、それで満足される。
でもガキ仏は、どこまでも欲しがる。
供え物じゃ足りん、家の氣も欲しい、そこに住んどる人間の生気も欲しい。
際限がないんじゃ」
隣の老婆は、その後、原因不明の体調不良に苦しんだという。
食事をしても味がしない。
水を飲んでも渇きが癒えない。
夜は悪夢に苛まれ、朝起きると体中の力が抜けている。
まるで、自分自身が供物になったかのように、少しずつ「精」を吸い取られていく感覚。
彼女が回復するまでには、お祖母様と近隣の古老たちによる、念入りな祓いが必要だった。
あなたの家の供物は、どうだっただろうか。
お盆の間、妙に早く傷んだ果物はなかっただろうか。
水が、理由もなく濁ったことはなかっただろうか。
そして何より、お盆の御馳走を食べたとき、いつもより味が薄い、あるいはまったく味がしないと感じたことはなかっただろうか。
もしあるなら、あなたの供物は、本来届くべき相手には届いていなかったのかもしれない。
影の中に隠れる「余分な数」
ガキ仏は、姿を見せない。
いや、正確には、「正面から」は姿を見せない。
彼らは常に、視界の端に潜んでいる。
振り返れば消え、目を凝らせば溶ける。しかし、周辺視野には確かに映っている。
蠢く影。
揺れる闇。
人の形をした、しかし人ではない何か。
お祖母様は言った。
「真っ直ぐ見たらいけん。
見たら、向こうも気づく。
気づいたら、もう関係ができてしまう。
関係ができたら、もう憑かれたも同然じゃ」
だから、ガキ仏の存在を確認する方法は、直接見ること以外にある。
それは、「影を数える」ことである。
迎え火を囲む家族の影を、そっと数える。
父、母、子供、祖父母。家族の人数だけ、影があるはずである。
だが、もしその影の中に、「余分な数」があったなら。
誰のものでもない、細い影が混じっていたなら。
私は一度だけ、それを経験した。
あれは私が十歳の頃のお盆だった。
迎え火を囲んで、お祖母様と、叔父と、叔母と、私の四人が立っていた。
火の明かりが私たちの影を地面に落としている。
ふと、何気なく影を数えた。
一、二、三、四……五。
五つ。
なぜ五つあるのか、最初は分からなかった。
もう一度数えた。
やはり五つある。四人しかいないのに、影は五つ。
私は、その五つ目の影をじっと見つめてしまった。
それは、私たちの影よりもずっと細く、長かった。
腕に当たる部分が、異様に細い。そして、腹に当たる部分だけが、不自然に膨らんでいた。
瞬間、その影が「動いた」。
私たちの誰も動いていないのに、その影だけが、ゆらりと揺れたのだ。
私は悲鳴を上げそうになった。だが、声を出す前に、お祖母様の手が私の肩を強く掴んだ。
振り返ると、お祖母様は私を見ず、火を見つめていた。
その唇が、かすかに動いている。何かを唱えている。
私が再び地面を見たとき、影は四つに戻っていた。
後でお祖母様に尋ねると、「見てしもうたな」とだけ言われた。
そして、私の額と両手首に、塩水を塗られた。
「今夜から三日、風呂に入るとき、必ず塩を溶かすんよ。
水に浸かる前に、『お帰りください』と三度唱えるんよ。分かったな」
お祖母様の指示は絶対だった。
私は三日間、言われた通りにした。
その間、夜中に何度か、障子の向こうに人影が立っているような気配を感じた。
足元に冷たい風が這い、布団の裾を何かが引っ張るような感覚。
だが、三日を過ぎると、その気配は消えた。
あの夜、私が見た五つ目の影は、何だったのか。
お祖母様は最後まで、はっきりとは教えてくれなかった。
ただ、私がガキ仏について尋ねたとき、お祖母様は黙って頷いた。
それが答えだった。
迎え火を囲むとき、どうか足元を見てほしい。
だが、決して「数えよう」と意識してはいけない。
何気なく、視界の端で確認するだけにとどめてほしい。
そして、もし余分な影を見つけたとしても、決してそれを直視しないでほしい。
見つめれば、向こうも見つめ返す。
そうなれば、その影はあなたの足元に、ずっと居座ることになる。
ガキ仏は、家の中にも入り込む。
迎え火という「門」をくぐり抜けてしまえば、彼らは自由に家の中を徘徊できる。
といっても、彼らは堂々と居間の中央に立っているわけではない。
彼らが好むのは、「隙間」である。
天井の角。
家具の裏。
押し入れの奥。
鴨居の上。
床の間の影。
およそ人の目が届きにくい場所に、彼らは滑り込んでいく。
お祖母様の家には、使われていない奥座敷があった。
古い箪笥が並び、天井は煤で黒ずみ、昼でも薄暗い部屋である。
お盆の間、私はその部屋に近づくことを禁じられていた。
「あそこはな、お盆のときは開けたらいけん。
ご先祖さんが休んどられる」
子供心に、私は不思議に思った。
ご先祖様が休んでいるなら、むしろお参りした方がいいのではないか。
だが、お祖母様は頑として私を近づけなかった。
後年、その理由を聞いた。
「あの部屋は、入ってきたもんを集めておく場所じゃ。
先祖さんも、そうでないもんも、みんなあそこに入ってもらう。
ほいでな、お盆が終わったら、送り火で一緒に帰ってもらう」
お祖母様の家では、迎え火で入ってきたものを、善きものも悪しきものも含めて、一旦あの奥座敷に「収容」していたのである。
そして、送り火でまとめて追い出す。
それが、長年かけて編み出された、
ガキ仏対策だった。
だが、現代の住宅には、そのような「収容場所」がない。
マンションの一室、清潔に片付けられた部屋。
隙間のない家具、明るい照明、見通しの良い間取り。
一見、ガキ仏が隠れる場所などないように見える。
だが、彼らは必ず隙間を見つける。
エアコンの室内機と天井の間。
カーテンレールの裏。
本棚の奥。
冷蔵庫と壁の間。
そして何より、「人間の意識が届かない場所」に。
あなたは、自分の家のすべての隙間を把握しているだろうか。
天井の隅を、最後に見上げたのはいつだろうか。
そこに何もいないと、本当に言い切れるだろうか。
吸い取られる生命――「ガキ憑き」の生理学
原因不明の「盆疲れ」の正体
お盆が終わると、人は疲れる。
これは、誰もが経験することだろう。
帰省の移動、親戚との応対、墓参り、法事の準備と片付け。
慣れない環境での寝泊まり、生活リズムの乱れ。
それらが重なれば、疲労が蓄積するのは当然のことである。
だが、本当にそれだけだろうか。
お祖母様は、「盆疲れ」という言葉を決して使わなかった。
代わりに、こう言った。
「盆に寝込むんは、疲れたからやない。
持っていかれたからじゃ」
持っていかれる。
何を、誰に。
「生気をじゃ。ガキ仏に」
お祖母様によれば、ガキ仏が家に入り込んだ場合、最初の徴候は「家全体の活力の低下」として現れるという。
それは、住んでいる人間の体調に直結する。
まず、家の空気が重くなる。
物理的に湿度が上がるわけではない。
だが、何か粘つくような、まとわりつくような空気が家の中に充満する。
窓を開けても換気されない。
エアコンを入れても爽やかにならない。
まるで、見えない膜が家全体を覆っているかのように、空気が淀む。
次に、家族の顔色が変わる。
最初は、誰か一人だけかもしれない。
「ちょっと疲れた顔してるね」という程度。
だが、日を追うごとに、家族全員の顔色が悪くなっていく。
頬のあたりに生気がなくなり、目の下に隈が浮かぶ。
唇の色が薄くなる。
鏡を見ても、自分ではあまり気づかない。
だが、お盆が終わって久しぶりに会った友人には、「大丈夫? 顔色悪いよ」と言われる。
そして、体の芯に残る重さ。
これが、最も特徴的な症状である。
通常の疲労は、休めば回復する。
だが、ガキ仏に「持っていかれた」場合、いくら眠っても、いくら休んでも、体の奥底に鉛を埋め込まれたような重さが消えない。
朝起きたとき、寝る前よりも疲れている。階段を数段上がっただけで息が切れる。
何をするにも億劫で、椅子から立ち上がるのさえ重労働に感じる。
私自身、一度だけこの症状を経験したことがある。
あれは二十代の頃、お祖母様が亡くなって数年後のお盆だった。
実家に帰省し、久しぶりに迎え火を焚いた。
お祖母様から教わった作法を、自分なりに再現したつもりだった。
だが、何かが足りなかったのだろう。
あるいは、何かを間違えたのかもしれない。
お盆が終わり、自分のアパートに戻った翌日から、体調が崩れた。
熱があるわけではない。
痛みがあるわけでもない。
だが、体が重い。
尋常ではなく重い。
ベッドから起き上がるのに、信じられないほどの労力が要る。
食事を作る気力もなく、コンビニで買ったおにぎりを一口齧っては、また横になる。
そんな日が一週間続いた。
医者に行っても、原因は分からなかった。
血液検査をしても異常なし。
「夏バテでしょう」と言われ、ビタミン剤を処方されただけだった。
だが、私には分かっていた。
これは夏バテではない。
あの重さは、私の内側から何かが抜け出ていくような感覚を伴っていた。
まるで、体という器に小さな穴が開いていて、そこから少しずつ何かが漏れている。
水道の蛇口から滴る水のように、ゆっくりと、しかし確実に。
結局、私は古い知識を頼りに、自分で対処するしかなかった。
お祖母様が教えてくれた方法を思い出しながら、塩と清酒で体を清め、窓という窓を開け放ち、部屋の四隅に盛り塩を置いた。
そして、「お帰りください」と唱えながら、線香を焚いた。
三日後、ようやく体が軽くなり始めた。
あのとき、私のアパートに何が居座っていたのか。
今でも、考えると背筋が寒くなる。
お盆の後、原因不明の疲労感に苛まれている方がいれば、どうか軽く考えないでほしい。
それは単なる「盆疲れ」ではないかもしれない。
あなたの生気が、何かに吸い取られているのかもしれない。
夢への侵入――眠りを貪る亡者
ガキ仏は、夢を通じて侵入してくる。
これは、お祖母様が繰り返し警告していたことである。
「寝とるときが、一番危ない。魂が緩んどるけん、入り込みやすいんじゃ」
人間が眠っている間、意識は弛緩し、心の防壁は薄くなる。
覚醒時には自然と張られている「自他の境界」が曖昧になり、外部からの侵入を許しやすい状態になる。ガキ仏たちは、その隙を狙う。
お盆の夜、あるいはお盆が終わった直後の夜、奇妙な夢を見なかっただろうか。
典型的なパターンはいくつかある。
まず、「知らない老人の夢」である。
夢の中に、見覚えのない老人が現れる。
男性の場合も、女性の場合もある。その老人は、何かを訴えかけるような目でこちらを見つめている。
口を開いて何かを言おうとしているが、声は聞こえない。
あるいは、聞き取れない言葉を呟いている。
その老人は、近づいてくる。
じりじりと、少しずつ距離を詰めてくる。
逃げようとしても足が動かない。
叫ぼうとしても声が出ない。
そして、老人の手があなたに触れる寸前で、目が覚める。
次に、「異形の子供の夢」である。
夢の中に、幼い子供が現れる。顔ははっきり見えないが、どこか歪んでいる。
首が異様に細いか、腹だけが不自然に膨れているか。
その子供は、あなたの手を引こうとする。
「こっち」「こっちに来て」と、甲高い声で誘う。
その子供についていくと、夢の風景が徐々に暗くなる。
気づけば、どこかの縁の下、あるいは古井戸の底、あるいは墓場の中にいる。
周囲には、同じように痩せ細った子供たちが、無数にうずくまっている。
彼らは一斉にこちらを向き、そして――。
そこで目が覚める。
お祖母様は言った。
「夢で手ぇ引かれたら、絶対についていったらいけん。
ついていったら、向こう側に連れていかれる。体は残っとっても、魂だけ持っていかれるんじゃ」
夢を通じた接触は、ガキ仏にとって「足がかり」を作る行為である。
一度でも夢の中で関係を結んでしまうと、彼らはより深くあなたに憑りつくことができる。
夢での接触が繰り返されるたびに、その絆は強くなり、やがて覚醒時にも影響を及ぼし始める。
その最たる症状が、「起床時の異常な喉の渇き」である。
朝目覚めたとき、喉がカラカラに渇いていることはないだろうか。
夜中に水を飲んだはずなのに、朝にはまた渇いている。
いくら水を飲んでも、喉の奥の渇きが癒えない。
それは、睡眠中に「何か」に生気を吸われた証である。
お祖母様の知人に、そのような症状に苦しんだ女性がいた。
彼女は毎晩、同じ夢を見た。
知らない老婆が枕元に立ち、じっとこちらを見下ろしている夢。
老婆は何もしない。
ただ見ているだけ。
だが、朝目覚めると、喉が焼けるように渇き、体中の力が抜けている。
一週間、二週間と続くうちに、彼女は目に見えて衰弱していった。
食事を摂っても痩せていく。
眠っても疲れが取れない。
医者は「自律神経失調症」と診断したが、どんな薬を飲んでも効かなかった。
最終的に、彼女は地元の古い神社の神職に相談した。
神職は彼女の話を聞き、「憑かれている」と即座に判断した。
そして、七日間にわたる祓いの儀式が行われた。
儀式の最終日の夜、彼女は激しい悪夢にうなされた。
夢の中で、あの老婆が初めて口を開いた。
「返せ」
老婆は、そう言った。
「わしの分を返せ。
お前の家の火で呼ばれたのに、何ももろうとらん。返せ」
彼女が悲鳴を上げて目覚めたとき、枕元に黒い塵のようなものが散らばっていたという。
神職は、それが「抜けていったもの」の残滓だと説明した。
以来、彼女の症状は回復に向かった。
しかし、完全に元に戻るまでには、数ヶ月を要したという。
夢は無防備な領域である。
お盆の時期、そしてその後しばらくの間、どうか自分の夢に注意を払ってほしい。
見知らぬ老人が現れたら、目を合わせてはいけない。
異形の子供に手を引かれても、絶対についていってはいけない。
そして、朝起きたとき喉が異常に渇いていたら、それを「エアコンのせい」だと片付けないでほしい。
あなたの夢に、誰かが侵入しているのかもしれない。
「施餓鬼(せがき)」の残酷な慈悲
お盆の行事の中に、「施餓鬼」というものがある。
施餓鬼会、あるいは施餓鬼供養。
正式には、お盆の期間中に寺院で行われる法要で、無縁仏や餓鬼道に堕ちた霊を供養するものとされている。
表向きは、「すべての霊に平等に功徳を施す」という慈悲の精神に基づいた行事である。
自分の先祖だけでなく、縁のない霊にも供養の手を差し伸べる。
それは仏教的な慈悲の実践であり、美しい理念である。
だが、お祖母様は、施餓鬼について別の解釈を持っていた。
「あれはな、慈悲やない。取引じゃ」
取引。
「ガキ仏に、『これをやるから、うちには来てくれるな』言うとるんじゃ。
賄賂じゃよ、賄賂」
お祖母様は、はっきりとそう言った。
施餓鬼の本質は、無縁仏や餓鬼道の霊への慈悲ではない。
むしろ、彼らを「自分の家から遠ざける」ための防衛策なのだ。
「これだけのものを与えるから、どうか満足して、うちには寄り付かないでくれ」という、冷徹な交渉。
そう考えれば、施餓鬼の供物が「家の外」に置かれることの意味も理解できる。
迎え火で先祖を家の中に迎え入れるのに対し、施餓鬼の供物は家の外、あるいは寺院という「中立地帯」に置かれる。
それは、ガキ仏たちに「お前たちの場所はここであり、ここではない」という境界を示す行為なのである。
だが、この取引には、致命的な問題がある。
ガキ仏を「満足させる」ことは、不可能なのだ。
彼らの飢えは、物質的な供物では癒せない。
水をいくら供えても、彼らの渇きは消えない。
食物をいくら供えても、彼らの腹は満たされない。
彼らが本当に欲しているのは、「帰る場所」であり、「自分を迎えてくれる者」であり、「生者との温かい絆」である。それらは、供物では代替できない。
だから、施餓鬼は「一時しのぎ」に過ぎない。
ガキ仏たちは施餓鬼の供物を受け取り、一時的には満足するかもしれない。
だが、その飢えは根本的には癒されず、次のお盆にはまた戻ってくる。
そして、供物だけでは足りないと感じれば、家の中へ侵入しようとする。
施餓鬼は、問題を先送りにしているだけなのだ。
お祖母様は言った。
「ほんまは、ガキ仏にも、どこかに帰れる場所があればええんじゃ。
でもな、そげな場所は、もうないんよ。
弔うてくれる人がおらん。
名前を呼んでくれる人がおらん。
ほやけん、ずっと飢えたまま、彷徨い続けるしかないんじゃ。
可哀想いうたら、可哀想なもんよ」
その言葉には、同情が滲んでいた。
ガキ仏たちは、好んで「寄生者」になったわけではない。
生前の行いが悪かったわけでも、必ずしもない。
ただ、死後に弔われなかった。
供養されなかった。
そのために、「先祖」になれず、安らぎの場所を持たず、永遠の飢餓に苛まれている。
彼らを責めることはできない。
だが、だからといって、彼らに家を明け渡すわけにもいかない。
「可哀想じゃ言うてもな、入れてやるわけにはいかんのよ。
入れたら、こっちが吸い尽くされる。
向こうは際限がないけん。
こっちの命が尽きるまで、吸い続けるけん。
ほやけん、心を鬼にして、追い出さにゃいけん。
それが、生きとる者の務めじゃ」
お祖母様の声は、どこか寂しげだった。
施餓鬼は、慈悲の行事ではない。
それは、救われない者たちとの、終わりのない取引である。
「これだけのものをやるから、どうか私たちだけは見逃してくれ」という、罪悪感を伴った交渉である。
そして、その取引が失敗したとき――供物だけでは満足できなかったガキ仏が、家の中に入り込んできたとき――生者は、彼らと対峙しなければならない。
次章では、その対峙の方法について、お祖母様から教わった知恵をお伝えしようと思う。
だが、その前に、一つだけ確認させてほしい。
あなたの家では、施餓鬼を行っているだろうか。
お盆の間、家の外に供物を置いているだろうか。
もし何もしていないのなら――「帰る場所のない者たち」に、何も与えていないのなら――彼らはどこへ行くのだろうか。
他の家で供養を受けているかもしれない。
あるいは、供養を受けられる場所を探して、今もあなたの家の周囲を彷徨っているかもしれない。
今夜、窓の外を見てほしい。
暗がりの中に、細い影が立っていないだろうか。
腹だけが膨れた、飢えた影が。
防衛の作法――山陰の知恵に学ぶ自衛策
お祖母様が教えてくれた「火の結界」
お祖母様が迎え火を焚くとき、私はいつも傍らで見ていた。
幼い頃は、ただ美しい炎を眺めているだけだった。
だが、成長するにつれて、お祖母様の所作には一つ一つに意味があることに気づき始めた。
何気なく行っているように見えて、そこには長い年月をかけて磨かれた「技術」が込められていた。
お祖母様は、迎え火を焚く前に必ず、三つのことをした。
第一に、「場を清める」こと。
火を焚く場所の周囲を、塩と水で清める。
具体的には、粗塩を少量手に取り、火を焚く場所を中心に、時計回りに三度撒く。
次に、清水を指先につけ、同じように三度振りかける。このとき、声には出さず、心の中で「この場を清め奉る」と唱える。
お祖母様は言った。
「火を焚く前に、場を整えんといけん。
汚れた場所に火ぃ点けたら、汚れたもんが集まってくるけん」
第二に、「呼びかけを限定する」こと。
迎え火は、文字通り「迎える」ための火である。
だが、誰を迎えるかを明確にしなければ、あらゆる霊が門をくぐってしまう。
だから、お祖母様は火を点ける直前に、必ずこう唱えた。
「〇〇家のご先祖様、お迎え申し上げます。
どうぞ、この火を目印にお帰りください」
ここで重要なのは、「〇〇家の」という限定である。
自分の家の先祖だけを名指しで呼ぶことで、それ以外の霊を招かないようにする。
お祖母様は、この一文を決して省略しなかった。
「誰でもどうぞ言うてしもうたら、ほんまに誰でも入ってくるけんな。
お客を呼ぶときは、名指しで呼ばにゃいけん」
第三に、「網を張る」こと。
これが、お祖母様独自の技術だった。
藁を燃やすとき、お祖母様はわざと煙を玄関の方へ向けた。
うちわで仰ぐのではない。
自分の体の位置を調整し、風向きを読みながら、煙が玄関の戸口を舐めるように流れていくよう誘導する。
そして、煙が戸口を通過する瞬間、小さく手を打った。
「こうするとな、煙が網になるんじゃ。
目に見えん網が、玄関にかかる。
ご先祖さんは通れるが、そうでないもんは引っかかって、入れんようになる」
私はその「網」を見たことがない。
だが、お祖母様がこの所作を行った年と、行わなかった年では、お盆の後の家の空気が明らかに違った。
行った年は清々しく、行わなかった年はどこか重たい。
それは、子供心にも感じ取れる差だった。
この「網」は、送り火のときにも張り直す。
迎え火で張った網は、お盆の間にすり減っていく。
だから、送り火を焚くときに、もう一度同じ所作を行い、網を張り直す。
これにより、万が一家の中に入り込んでいた「望まざる客」がいても、送り火と一緒に押し出すことができる。
「迎え火と送り火は、対じゃ。
迎えたら、送らにゃいけん。
入れたら、出さにゃいけん。
それを怠ると、ずっと居座られる」
お祖母様は、そう繰り返した。
もう一つ、お祖母様が教えてくれた重要な心得がある。
それは、「入るな」と言ってはいけない、ということ。
ガキ仏に対して、「入ってくるな」「来るな」と直接的な拒絶の言葉を投げかけてはいけない。
それは彼らを刺激し、むしろ執着を強めてしまう。
代わりに、「お前の場所はここではない」と諭すのだという。
「入るな言うたら、向こうも意地になる。
でもな、『あんたの帰る場所は、ここやないよ。
あんたを待っとる場所が、他にあるよ』言うてやると、向こうも考える。
嘘でもええんじゃ。
そう言うてやると、少しは気持ちが楽になって、離れていくこともある」
拒絶ではなく、誘導。
これが、お祖母様の知恵だった。
ガキ仏たちは、帰る場所を失った哀れな存在である。
彼らを力ずくで追い払おうとするのではなく、「お前にもどこかに居場所があるはずだ」と諭すことで、穏やかに立ち去らせる。
もちろん、それでも出ていかない者もいる。
そのときは、より強い手段を講じなければならない。
「ミソハギ」と「逆さ言葉」の魔除け
お盆の供花として、ミソハギ(禊萩)が使われることは広く知られている。
紫紅色の小さな花が穂状に連なる、楚々とした植物である。
お盆の時期に花を咲かせることから、盆花として重宝される。
水を含ませたミソハギで供物に水を振りかける「水の子」の作法は、各地で見られる。
だが、ミソハギの本来の意味を知る人は、今では少ない。
ミソハギの「ミソ」は「禊(みそぎ)」である。つまり、ミソハギは「禊の萩」、穢れを祓い清める力を持った植物なのである。
お祖母様は、ミソハギをただの供花とは扱わなかった。
「ミソハギはな、刃物みたいなもんじゃ。霊を切ることができる」
お祖母様は、ミソハギの枝を束ねて、玄関の鴨居に吊るしていた。
また、精霊棚の四隅にもミソハギを配置し、結界のように囲んでいた。
万が一、招かれざる客が近づいても、ミソハギの「刃」に触れれば退散するのだという。
「ガキ仏はな、ミソハギを嫌がる。
近づくと、焼けるんじゃと。
じゃけん、ミソハギで囲んでおけば、中には入れん」
また、お祖母様は「逆さの作法」を行うことがあった。
お盆の間、特に迎え火と送り火の日には、いくつかのものを意図的に「逆さ」にする。
草履を裏返しに置く。
箸を逆向きに並べる。
着物の襟を左前にする(ただしこれは死者の装いでもあるため、象徴的に行う)。
なぜ逆さにするのか。
「向こう側とこちら側は、あべこべなんじゃ。
向こうの者は、こっちの決まりが分からん。
ほやけん、逆さにしておくと、混乱する。
混乱しとる間に、追い出せる」
ガキ仏を「惑わせる」ための技術である。
彼らはこの世の理を完全には理解していない。
生者の世界のルールが、彼らにとっては不可解なものとして映る。
だから、意図的にルールを乱すことで、彼らの侵入を妨げ、あるいはすでに侵入した者を追い出すことができる。
お祖母様が特に重視していたのは、「左右を入れ替える」ことだった。
お盆の間、仏壇の配置を微妙に左右入れ替える。
線香立てと花瓶の位置を逆にする。
ろうそくの左右を入れ替える。
こうすることで、ガキ仏が「正しい場所」を見つけられなくなり、居心地の悪さを感じて出ていく。
「向こうの者はな、決まった場所に収まりたがる。
収まる場所がないと、落ち着かんで、出ていく。
ほやけん、わざと場所をずらしてやるんじゃ」
これらの作法は、現代の住宅でも応用できる。
マンション住まいで、迎え火を焚けない方も多いだろう。
その場合は、盆提灯やLEDのろうそくを代用として使いつつ、ミソハギを玄関に飾ることをお勧めする。
花屋で手に入らなければ、通信販売でも購入できる。
玄関に入ってすぐの場所、靴箱の上などにミソハギを活けておく。
水は毎日替え、枯れたらすぐに新しいものに換える。
これだけでも、招かれざる客への「刃」になる。
また、「境界線を引く」という意識を持つことも重要である。
現代の住宅には、昔の日本家屋のような明確な「結界」がない。
土間、上がり框、敷居、鴨居といった、空間を区切る要素が失われている。
だから、意識的に境界を作る必要がある。
最も簡易な方法は、玄関の内側と外側の境目に、塩を一つまみ撒くことである。
目立たない程度でよい。
そして、心の中で「ここから先は私たちの領域です」と宣言する。
これだけでも、何もしないよりはずっと効果がある。
お祖母様は言った。
「大事なんはな、『ここはわしらの場所じゃ』とはっきり思うことじゃ。
思いが弱いと、境界も弱うなる。
思いが強ければ、塩一つまみでも、立派な結界になる」
結界とは、物質的なものであると同時に、精神的なものでもある。
自分の家を、自分の領域として、はっきりと認識すること。
そこに入ってきてよいものと、入ってきてはいけないものを、自分自身で選別する意志を持つこと。
その意志こそが、最も強力な防衛線になる。
結び――飢えは、生者の中にもある
ここまで、ガキ仏という存在について、その正体、その行動、その脅威、そして対処法を記してきた。
だが、最後に一つ、お祖母様から聞いた言葉を記しておきたい。
あれは、私がお祖母様にガキ仏の話を詳しく聞いた、最後の夏のことだった。
お祖母様はすでに体が弱り、床に臥せることが多くなっていた。
それでも、お盆の迎え火だけは、自分で焚くと言って聞かなかった。
私が手を貸しながら、お祖母様は震える手で麻殻に火を点けた。
炎が立ち上がり、煙が夕空に昇っていく。
いつもの作法を一通り終えた後、お祖母様はぽつりと言った。
「ガキ仏はな、可哀想なもんじゃ」
それは、何度か聞いた言葉だった。
だが、その日のお祖母様の声には、いつもとは違う響きがあった。
「帰る場所がない、弔うてもらえん、名前も忘れられとる。
ほやけん、ずっと飢えとる。でもな……」
お祖母様は、炎を見つめながら続けた。
「あれは、わしらの中にもおるもんじゃ」
私は、その意味が分からなかった。
「飢えいうもんはな、腹が減ることだけやない。
心が減ることもある。
認めてもらいたい、愛してもらいたい、忘れんでほしい、置いていかんでほしい。
そういう飢えが、誰の中にもある」
お祖母様は、私の方を向いた。
「お前も、飢えたことがあるじゃろう。
誰かに認めてほしゅうて、誰かに必要とされたくて、でもそれが叶わんで、心がひもじゅうなったことが」
私は頷いた。
そういう経験は、確かにあった。
「ガキ仏はな、その飢えが、死んでも消えんかった者たちじゃ。
生きとる間に満たされんかった飢えが、死んでからも続いとる。
ほやけん、他人の火を盗み、他人の供え物を奪い、他人の生気を吸い取ろうとする。
自分では満たせんけん、他人から奪うしかないんじゃ」
お祖母様は、再び炎を見つめた。
「でもな、そうやって奪っても、飢えは消えんのよ。
消えるはずがない。
本当に欲しいもんは、奪うては手に入らんけんな。
本当に欲しいのは、自分から差し出してもらうことじゃ。
でも、ガキ仏には、もうそれを差し出してくれる人がおらん。
ほやけん、永遠に飢えとる」
私は、何も言えなかった。
「お前もな、いつか死ぬ。
わしも、もうじき死ぬ。
そんときにな、飢えを残したまま死んだら、ガキ仏になるかもしれん。
ほやけん、生きとる間に、飢えを満たしておかにゃいけん」
お祖母様は、私の手を取った。
「人に優しゅうしなさい。
人を愛しなさい。
人に愛してもらいなさい。
ほいで、自分が死ぬときには、『もう満足じゃ』と思えるようにしなさい。
そしたら、ガキ仏にはならん。
ちゃんと先祖になって、お前の子や孫が焚いてくれる火で、帰ってこれる」
その言葉を、私は今も覚えている。
お祖母様は、その年の秋に亡くなった。
最期は穏やかな顔をしていた。
「もう満足じゃ」と、言っていたかどうかは分からない。
だが、私はそう信じている。
お盆に迎え火を焚くとき、私たちは何を迎えているのだろうか。
帰ってくるご先祖様。それは確かにいる。
だが同時に、私たちは自分自身の「飢え」とも向き合っているのではないだろうか。
炎を見つめながら、自分の中にある満たされない何かを、意識しているのではないだろうか。
ガキ仏とは、私たち自身の影である。
執着、欲望、孤独、恐れ。
それらが死後も消えずに残ったとき、人はガキ仏になる。
逆に言えば、生きている間にそれらと向き合い、少しでも軽くしておくことが、死後に「先祖」として安らかに眠るための準備になる。
お盆という行事は、単なる先祖供養ではない。
それは、生と死の境界に立ち、「こちら側」と「あちら側」を見つめる時間である。
そして、自分自身の中にある闇――いつかガキ仏になりかねない飢えの種――を見つめる時間でもある。
さて、このエッセイを最後まで読んでくださったあなたに、一つだけお願いがある。
今夜、眠りにつく前に、自分の体の状態を確認してほしい。
お盆が終わってから、妙に疲れていないか。朝起きたとき、喉が渇いていないか。
体の芯に、鉛のような重さが残っていないか。
もし心当たりがあるなら、どうか軽く考えないでほしい。
簡単にできることがある。
粗塩を一つまみ、湯船に入れて浸かる。
窓を開けて、部屋の空気を入れ替える。
そして、心の中で「お帰りください」と唱える。
それでも取れない重さがあるなら、専門家に相談することをお勧めする。
地元の神社や寺院には、こうした相談に乗ってくれる神職や僧侶がいる。
馬鹿馬鹿しいと思うかもしれない。
現代人として、そういうものを信じたくない気持ちも分かる。
だが、山陰の古い集落で生まれ育った私は、知っている。
この世には、見えないものがいる。
お盆の火は、見えないものへの門を開く。
そして、その門を通って入ってくるものが、すべて善意の者とは限らない。
お祖母様は亡くなる前に、もう一つ、こう言った。
「用心しなさい。
でもな、怖がりすぎてもいけん。
怖がると、向こうも分かる。
分かると、つけ込まれる。
だから、用心しながら、堂々としとりなさい。
『わしは生きとる、ここはわしの場所じゃ』と、胸を張っとりなさい」
生者には、生者の力がある。
私たちには、陽の光を浴びる体がある。
温かい血が流れている。
息を吸い、飯を食い、誰かを愛し、誰かに愛される。
それは、死者が決して持てないものである。
その力を、どうか忘れないでほしい。
お盆が終わり、日常が戻ってくる。
スーパーには秋の味覚が並び始め、子供たちの夏休みも終わりに近づく。
猛暑も少しずつ和らぎ、夜風にわずかな涼しさを感じるようになる。
その日常の中で、ふと、背中に重さを感じることがあるかもしれない。
誰かに見られているような気配。
肩に何かが乗っているような圧迫感。
振り返っても誰もいないのに、確かにそこにある「何か」の存在感。
そんなとき、思い出してほしい。
あなたが焚いた迎え火。
あなたが供えた供物。
あなたが開いた、「あちら側」への門。
そこを通って入ってきたものは、本当にすべて出ていっただろうか。
送り火を焚いたとき、あなたはきちんと「お帰りください」と唱えただろうか。
もし唱え忘れたなら――
今夜、眠りにつく前に、小さく呟いてみてほしい。
「お帰りください。あなたの場所は、ここではありません」
それが届くかどうかは、分からない。
だが、言わないよりは、ましだろう。
そして、もしその重さがどうしても取れないなら――
来年のお盆には、お祖母様が教えてくれた作法を、一つ一つ丁寧に行ってほしい。
場を清め、呼びかけを限定し、網を張り、ミソハギを飾り、境界を意識する。
そうすれば、少なくとも「新しい客」を招き入れることは、防げるだろう。
お盆が終わり、火を消した後。
あなたの背中に残っているその「重み」は、本当にただの疲れでしょうか。